すでに死んでる?(梅田千加)

ときどき、自分がもうすでに死んでるんじゃないかと不安になることがある。右折のタイミングが早すぎて、猛然と直進してくるトラックとぶつかりそうになった後とか。体調が悪くて、取るものもとりあえず、倒れこむように眠ってしまった次の朝とか。

いつもの様に起きてご飯を食べて電車に乗って仕事に行く。パソコンを立ち上げて、メールをチェックする。電話がなる。誰かが受話器をとって、誰かにとりつぐ。いつも通りの世界を眺めてふと思う。自分はあの時すでに死んでいて、いまここにいる自分はただのまぼろしなのでは?ここにいると思っているのは、ただの妄想で、勘違いに過ぎないのでは?今にも電気が消える様に、全部がパッ、と消えてしまうのでは?

そっと周囲を見回す。手の早い同僚がカタカタ音を立ててタイピングし、几帳面な新人さんは真剣な顔で書類をチェックしている。上司は少し眠そうな目で、パソコンの画面とにらめっこしている。あまりにも、いつも通りの光景だ。
そっと視線を落として、自分の手を見る。分厚くて、大きくて、ぽちゃぽちゃした、お馴染みの自分の手。じーっと眺める。隅々までよーく見る。怪しまれないようにこっそり動かす。むすんで、ひらいて。ぐー、ぱー、ぐー、ぱー。おもても裏も普段のまま。透けて向こうが見えることも、鉛筆持とうとして通り抜けることもない。

…死んだにしては、なにもかもがあまりに普通だ。もし死んでるのなら、もう少し世間の様子も違って見えるのではないだろうか。死んだ事がないからわからないけど。いや、本当はわかってる。死んだら何もないってこと。ドラマや映画みたいに、半透明の存在になって、生者の世界をさまよったりしないし、自分は死んだのか?と考えることもない。そこにはただ、自分のいない世界があるだけで、それを悲しそうに眺める自分はいない。

おもむろに現実に戻る。メールの返信をうちながら、生きてると死んでるの境目ってなんなんだろうと少し思う。

フェスボルタ文藝部

”電話一本で誰でも出られるフェス”こと『フェスボルタ』から、部活を始めます。小説、エッセイ、評論、体験談、旅行記、戯曲、インタビューetc.みんなで文章書こうぜ。

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