私がセーフティーコミュートの仕事に就いて、もうじき一年が経ちます。
やることが多く大変な仕事ですが、日当もよく、概ね満足しています。
なにより、社会のために働ける満足感は、他の仕事ではなかなか得難いものです。
私は毎朝、午前四時に目を覚まします。
真っ暗闇の中、自転車を飛ばし、集合場所の最寄り駅に向かいます。
改札口で他のスタッフと挨拶を交わし、点呼の後、リーダーから名簿が配布されます。
今日のクライアント様のお名前、集合時間と目的地を確認し、到着を待ちます。
日が昇り、カラスが鳴き出した頃。
クライアント様が徐々にホームへ姿を現します。
いつも感心するのは、集合時間に遅れる方がほとんど居られないことです。
日本のサラリーマンは本当に律儀だな、と感心してしまいます。
私達はお一人ずつ、目的地を確認し、名簿と照合していきます。
降車駅を間違えてしまうと大変なお叱りを受けますので、この作業は念入りに行う必要があります。
確認が終わりましたら、クライアント様をお一人ずつ拘束していきます。
紙オムツを着用したか伺い、クリーニング済の拘束衣に袖を通していただきます。レインコートのようにスーツの上から着せ、長く伸びた両袖を手錠で止めて、胴体に金具で固定する仕組みです。
それから、革製マスクを被せていきます。VRゴーグル、ノイズキャンセルヘッドホン、消臭マスクが内蔵されている優れものです。装着すれば、完全な無音と暗闇の中で、ぐっすり眠ることができるのです。
さらにクライアント様たちを、降りる駅ごとにまとめていきます。
拘束着には自在鉤とカナビラがついていて、お客様同士を連結したり、手すりやつり革に引っ掛けることができるのです。
二列縦隊に並べたクライアント様たちの最後尾に立ち、白線の内側で電車を待ちます。
さあ、電車がやってきました。今日も満員です。
私たちはクライアント様とともに電車内へ乗り込みます。いつも緊張する瞬間です。
幸いにして今日は、スタッフ全員が乗り込めました。搬出作業もスムーズに行えるでしょう。
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通勤電車内での痴漢行為が社会問題となった際、女性と同じかそれ以上に、男性が怯えました。ひとたび痴漢行為の容疑者となれば、たとえ冤罪でも立証はほぼ不可能で、無実の罪で全てを失う可能性があったからです。
公的な打開策が何一つ打たれない中、いちはやくベンチャー企業が始めたサービスが「セーフティーコミュート」でした。完全な管理下の元、拘束され手も足も出ない状態で乗車すれば、痴漢に間違われることはない。「濡れ衣の前に拘束衣を着よう」をキャッチコピーに、このサービスは急速に業態を拡大しています。
とはいえ、セーフティコミュートへの世間の認知は、まだまだ追いついていません。
吊革にブラ下がる拘束済みのクライアント様の姿に、ぎょっとされることもしばしば。なかにはスマホで撮影する女子高生までいます。SNSに投稿するのでしょうか。クライアント様のプライバシーはこれ以上ないほど保護されていますが、あまり良い気はしないものです。
目的の駅に着き、無事、下車と搬出を完了しました。
クライアント様の誘導と拘束解除を他のスタッフに任せ、私は追加業務の処理のため、別方向へ向かいます。目指すはホーム上の、駅員さんの待機場所。
いつでも駅員さんを呼び出せる地点まで移動し、そこでやっと振り返ります。
背後に立っていたのは、蒼ざめた顔の中年男性でした。
彼は私の笑顔と、私と彼の手首を繋ぐ手錠に、交互に目をやっています。
混乱している彼に、私は丁寧に説明します。
私の下腹部へ明らかに故意の接触を図ってきたため、捕縛させていただいたこと。
また、乗り合わせていたスタッフが行為を目撃しており、言い訳をしていただく手間は生じないこと。
これ以上抵抗される場合は、止むを得ず大声を出させていただき、証拠を当局へ提出させていただくこと。
この場でセーフティーコミュートに申し込んでいただけるなら、今すぐに手錠を外させていただくこと。
思わぬところで新規のクライアント様からお申込みをいただきました。
しかも、10年の前払い契約です。
リーダーからも褒められ、嬉しい一日になったものの、流石に疲れてしまいました。
午前10時。空き始めた電車で家に帰り、シャワーを浴びて、ベッドに入ります。
明日は仕事がないので、支給された革製マスクを被って寝ることにしました。
完全な暗闇と無音状態の中、社会のために働いたやりがいに包まれながら、私は今日も眠りにつくのです。
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