はじめに。
フェスボルタ文藝部からついに文藝誌が創刊された。
フェスボルタとは渋谷を中心に不定期で開催されている電話一本で誰でも出られるフェスの名称である。
かつてテレビ雑誌の片隅に存在していたジョン・ヒロボルタの連載ページから誕生した完全素人によるフェスイベント。
フェスボルタ文藝部は、そんなフェスボルタから派生して誕生した文章表現に特化したサークルだ。
設立者はジョン・ヒロボルタの一番弟子、みやまるボルタ。
それから紆余曲折あり、みやまるさんから柴崎へ引き継ぐ形で文藝誌は作られた。
文藝誌のタイトルはフェスボルタの理念を継承する意味を込めて「季刊・ボル」とさせていただいた。
続刊すれば「ボル Vol.2」とかってなるわけだ。
(ボルが二回続くの、ちょっと面白いでしょ。)
あとは、ラテン文学のボルヘスからとか、ぼったくるのぼるからとか(しゃちょ~!)、他にもこじつけは色々できそうだが、とにかくフェスボルタから誕生した冊子だから、ボル。
いまあなたが手に取ってくれたそのちっぽけな冊子が作られるまでに一体どれだけの苦労と犠牲があったことか。
しかし、そんなことは読んでくれる人にはまったく関係のないことだ。
制作途中の時点では約30名の方が寄稿に協力してくれているはずだが、もしそれよりも少ない参加人数になってしまっていたらごめんなさい。
初めて文章にときめきを覚えたのはいつのことだったか。
学校に行けなかったときに、悪友になってくれた文章はなんだったか。
恋が実らなかったときに、無理やりキスをしてくれた文章はなんだったか。
夢を挫折したときに、こっちのほうがもっとおもしろいぜって腕を引っ張ってくれた文章はなんだったか。
仕事がつらすぎて逃げ出してしまったときに、ぐでんぐでんに朝まで一緒に飲み明かしてくれた文章はなんだったか。
大切な人を亡くしたときに、自分よりもずっと長いこと泣き続けていた文章はなんだったか。
文藝とは作者の実体験と想像力による織物だ。
ただの点と線の連なりであるはずの文字を、人はなぜ読むことができるのだろう。
人はなぜ文字に意味を託すのだろう。
同時代に確かに存在していた人たちの、小さくて頼りなくてもどうしても伝えられずにはいられなかった感情が目一杯に詰め込まれた点と線の連なりをどうか優しい眼差しで慈しんでほしい。
音楽表現がメインとなるフェスボルタとはまた違った視点から、ステージパフォーマンスをする表現者という道を選択した人々のささやかな声に耳を傾けてほしい。
そして、続刊することができた暁にはどうかあなたにも寄稿をしてほしい。
フェスボルタと同じく誰にでも書ける文藝誌です。
まずはコミケや文フリのカタログのように、フェスボルタの参加者の個性をより広く・深く伝えられるような冊子を目指します。
あなたの人生のそばに、もっとたくさんの文藝が降り注ぎますように。
フェスボルタ文藝部 部員
季刊・ボル 編集長
ベズ柴崎
※こちらは7/15フェスボルタにて販売される手作りの文藝誌「季刊・ボル」の序文になります。
※7/9頃に寄稿者を公開予定。お楽しみに。
※まだギリで寄稿者の受付可能です。
「書きたい!」「最高の夏にしたい!」という方はベズ柴崎のTwitterアカウント(sbsk_weekend)までDMか weekend8090@gmail.com までメールをください。
平成最後の最高の夏にしような。
完。
P.S
脳をリスカしそうな日々。
なかいきあかちゃんのことしか考えてない。
アイドルになれず #MeToo にも仲間入りできない小さな叫びに耳をすませたい。
0コメント