忘れるために忘れないこと(山内てっぺい)

 物事を続けるということは、それなりの根性と覚悟が必要になる。ただそれは最初だけで、習慣となってしまえば何も考えずその物事を続けることができる。朝起きて顔を洗い適当な朝食を取って歯を磨き着替えて髪をセットし家を出て鍵を閉める。こんな朝の流れは別に続けようと思ってやっているわけでなく何十年と行ってきた習慣で、何も考えずとも自然と体がその動きをする。もしこのなんてことない朝の流れの中に新しいこと、例えばベランダのミニトマトのプランターに水をやるという行為を組み込むとする。最初は「いつもの」ペースを乱されるせいか忘れがちになったりするかもしれない。ただ1ヶ月2ヶ月と続ければそれもいつしか習慣となり、なにも考えずに目の前の植物に水をやり続けることになる。

 沙耶と出会ったのは3年前の春だった。大学の入学ガイダンスでたまたま隣の席になり、話相手のいなかった僕は沙耶の持っていたキーホルダーが好きなミュージシャンのものであると気づき声をかけた。すぐに意気投合し何度か一緒に飯を食い同じサークルに入り同じ授業を受けいつしか沙耶は僕の彼女になった。毎晩日付が変わったぐらいの時間から電話をして、お互い喋り疲れて眠りに落ちて朝はどちらかの声で目覚め数時間後大学で会うという生活が続いた。2人が電話をしない日はケンカをした日とどちらかが飲み会で酔いつぶれたときだ。それ以外は毎日電話をした。2年も経てばその電話も習慣と成り果てた。なんだか電波に乗せて同棲しているようなそんな感じだった。

 ある日沙耶が姿を消した。大学に来なくなった。LINEの返事もないし電話にも出ない。僕は悲しくなった。毎晩日付が変わったぐらいの時間になると電話をかけようとしてやめた。きっと沙耶は出ない。ひとりきりの夜を過ごした。沙耶がいなくなってからしばらく経ったがやはり僕の2年弱の習慣は抜けない。電話をしていた頃と同じように3時にならないと眠気がこない。イヤホンを耳に刺していないと眠れない。習慣が消えた僕のペースは乱され苦しい思いをした。ベランダのミニトマトに水をやることを辞めるのはすっぱりとできた。小さな習慣を消すのはとても簡単だった。ただ沙耶との毎日の繰り返しはずっと忘れられない。沙耶は今どこでなにをしているんだろう。大学を辞めたことだけはわかったけどその後を知る者は誰もいない。もうすぐ日付が変わる。そろそろイヤホンを耳に刺して布団に入るころ。沙耶の面影を抱きしめる。苦しい。さみしい。今は、沙耶のことを思い出すことが新しい習慣になった。この胸の痛みが、苦しみが、新しい習慣になった。

フェスボルタ文藝部

”電話一本で誰でも出られるフェス”こと『フェスボルタ』から、部活を始めます。小説、エッセイ、評論、体験談、旅行記、戯曲、インタビューetc.みんなで文章書こうぜ。

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