さしたる情勢(岡田靖幸)

 しっぺ、デコピン、馬場チョップ、という遊びを急に思い出した。馬場チョップの後に続きがあった気がするが、それは思い出せない。
ジャンケンをして勝ったほうが暴虐の限りの尽くせる、遊びだったのを覚えている。
しかし、今それをもちろんやってくれる相手なんていないけど、そうじゃなく、やるタイミングもない。
そして、記憶はどんどん崩れていて、やっぱりジャンケンじゃなくて他の勝負で決めていたような気もして、
例えば、ジャンケンは導入で、そこからあっち向いてホイだったり、
軍艦(だったかなあ、ジャンケンで勝った方が出せ出せグー出せと相手を焦らせながら、同じものを出したら相手の手の甲に平手打ちをするアレ。いや、でもそれだと暴虐がすぎる。というのはこれから暴虐の限りを尽くせるご褒美が待っているのに、その前から我慢比べのような非道をするだろうか? というか、これ軍艦じゃないような気がする。だって軍艦関係ないじゃないか終わりもないし)だったりで、第二段階の勝負に興じていたのかもしれない。
こうまで思い出せないのは、やはり今ではその遊びをやらなくなったからで、しかもこういうのは、全国共通ではなく地域性が出てしまう場合が多く、そんな年齢じゃないことを無視してしまえば、中学生までの遊びだった。中学までは小学校からほとんど変わらない奴らだったが、高校は市外の高校に電車を乗って通学し、そんな奴らがいっぱいいるからそんな遊びをやろうとも思わなかった。大富豪ですら、ルールの取り決めに何度も協議したのだ。
 さすがに、今でもあっち向いてホイとジャンケンは判る。しかし、ジャンケンならまだ機会はあるが、あっち向いてホイはやる機会がなくなった。でもだからといって、憂うことはない。僕はジャンケンやあっち向いてホイをしなくても、したいことが出来る大人になったってことだろう。そして、そんな大人になっていないことは自分自身がよくわかっていた。


「お先に失礼します、お疲れ様でした」
と僕は言っていた。19時になったら勝手に身体が動いて、指先が何度かピクピクピクピクと動き、手も少し震え、いつのまにかPCの電源が切れる。目の前の真っ暗になった、PCモニターの電源を指で押して切る。ギシギシと音を立てる座り心地の最悪な椅子から9時間ぶりに立って、
「お先に失礼します。お疲れ様でした」
と周りの人たちに頭を下げて、気付いたらエレベーターに乗って、気付いたら電車の中だった。
 この会社に入ってもう半年以上になるが、僕がやっている事に何の意味があるのか、まるで、一欠片すら判らない。どうして、こんなことをしているのか、そしてどうして、こんなことにこの会社は賃金を発生させているのか、まるで判らない。
 僕のデスクと椅子はそのオフィスで唯一の外が見える窓のとこにあって、といっても見えるのは目の前に建っているマンションの2階から5階までで、ブラインドが下げられているので、視界は不良で天気の良し悪しと、ベランダに人間がいるなくらいしかわからない。
そして、デスクの大部分を占めるのはやはりパソコンのモニターで、僕の仕事は僕の上司である才谷さんが言うには、
「広告のその又次のステップ」
らしく、その意味はまだ判らない。

 始業開始は10時から、となっていて、他の人たちもそれは一緒で、タイムカードの打刻は皆一様に9:55以降になっている。つまり、このビルの2〜4階部分全てこの会社のオフィスだから、その3階分の100人余りの会社員の長蛇の列が2階にあるタイムカードの前に出来る。僕はいつもその長蛇の列の真ん中らへんに位置していて、後ろの人に靴のかかとを踏まれないように、そして前の人の靴のかかとを踏まないように下を向きながら少しずつ歩を進める。僕は大体9時58分に打刻出来て、そのまま3階に上がる。遅刻は今迄したことはない。しかし、本当に凄いなぁ、と感心してしまうのはその後の50人くらいの人たちで、残り2分弱の間に全ての人たちが打刻し終えて、10:00ではなく、09:59と打刻されてある事だ。僕は、階段を上っていて、どういう風にタイムカードが押されていっているのかは確かめた事はないのだが、コツがあるのだろう。

 そうして、3階に上がると、白い蛍光灯の明かりに照らされ、ラベンダーの芳香剤でツンとキツイ匂いが立ち込めているオフィスで仕事に取り掛かる。3階は30人くらいで等間隔に椅子とデスクが並べてあって、どのデスクの上にも何も置かれていない。
いつまで経っても慣れない、座り心地の悪い椅子に座る前に朝礼がある。
皆自分の席で立ち、部屋の一番奥にいる部長の話を聞く。大体、国内外の経済の話をしてくれる。僕は経済のことは大抵この部長から教えてもらっている。
「ええ、だから、こうなる事はわかりきっていまして、アメリカは今実は下降の一途なのです。ロシアもまるでダメで、今伸ばしているのは中国とインドとそこらへんに属する国家なわけで、いつまでも大国と発展途上国の差が埋まらないと思っていてはいかんのでして、もう私らは経済破綻した貧乏国家なのでして」
という感じだ。僕はアメリカ映画が好きでよく80年代のアメリカ映画を観るのだが、このアメリカが実はもうないのだとすると、やはり部長の言う通り、これからは中国やインドの映画にシフトしていくのかなぁ、とぼんやり思った。大体この朝礼は10分くらいあって、最後に
「いいですか、チャンスは至る所にあるんです、あなた達はそれをどうにか引き寄せて掴む、それだけです」
いつもこのようにして朝礼は終わる。僕はその度に、
(チャンス)
と心の中で呟く。
 そして、クーラー機動音だけが聞こえる。それが9時間続く。僕はマンションのベランダで誰かが多分煙草を吸っているのだろうか、5分くらい誰かが殆ど動きもせずにそこにいたのを見た。今日は天気が良く、外が明るい。それは明るいオレンジのような、赤の入った黄色のような色の事は良く判らないけどそんな天気だった。

 お昼にはお昼係と呼ばれているおばちゃんが2人いて、皆の席へ弁当を運んでくれる。12時10分ぐらいになるとおばちゃん達が来るので、弁当を持ってきた人以外の人達は僕を含めて皆手をあげる。そして、おばちゃん達が弁当を渡すとその手を下ろす。これは部長も同じようにそうしている。特に説明もなかったが、皆がそうしているので僕もそうしている。僕の番が来て、僕も弁当を受け取って手を下ろした。手をあげていた全ての人に弁当が配り終わり、おばちゃん達は2階の人達へと弁当を届けに行く。僕らの前に4階に寄っているのだ。今日の弁当は、鮭と、鶏肉の照り焼き、そして卵焼きがオカズで、半分は白いご飯。その脇に小さなポテトサラダと漬物が載っている。昼食は会社が負担してくれていて、自分で弁当を持って来ると500円が給料とは別に支給されるので、この弁当は500円の価値がある。皆が同じ弁当を食べて、また仕事に戻る。このお昼休憩は曖昧になっていて、30分くらい寝ている人もいれば、10分くらいしてすぐに仕事に戻る人もいる。仕事に戻るのが遅くても誰も咎められた事はない。ただ、このオフィスには監視カメラが付いていて、記録されている。動いている所を見た事はないから、ダミーなのかもしれない。
「チャンスは至る所にあるんです」
という部長の言葉がリフレインする。
そして僕も仕事に戻るのだが、僕はスリープモードにしていたPCを起動させて、デスクトップ画面を見ている。半年いるが、僕はずっとデスクトップ画面を見て過ごしている。周りの人もずっとそうだ。部長を含めてこの階の人間は全員、多分上の階も下の階も同じだろう。10時から19時まで、パソコンのデスクトップ画面を見て過ごしている。これを週5、たまに休日出勤があり、その場合振替休日を取得できる。この会社が長い人になると、当然残業続きらしく、終電間際までデスクトップ画面を見ている。しかも問題なのが、この残業がサービス残業なのだ。契約書などはなく、口頭で説明されただけなのだが(労働条件通知書も発行されていない)、みなし残業代が既に給料に入っているのだそうだ。どの程度の残業分なのかは知らされていない。多分、どんなに残業しても給料は変わらないのだろう。では、何故何もせずデスクトップ画面を延々と見て、残業までして、家族サービスの行楽すら取りやめて土日出勤を繰り返すのか。やはりそれは
「チャンスは至る所にあるんです」
に集約されているのだろう。僕は電車に乗って家に帰って自分の部屋のPCでアメリカ映画を観ていたのだが、今日は開始5分もしないうちに嘔吐してしまった。しかし、映画は流れ続けていた。僕は吐き続けていつのまにか電車に乗って気付いたらタイムカードを押す行列に並んで下を見ている。今日の天気はまだ判らない。

フェスボルタ文藝部

”電話一本で誰でも出られるフェス”こと『フェスボルタ』から、部活を始めます。小説、エッセイ、評論、体験談、旅行記、戯曲、インタビューetc.みんなで文章書こうぜ。

0コメント

  • 1000 / 1000